Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル 番外編

  “端迷惑な迷子”〜初夏の翠の… 後日談
 


 まだまだそうはすっきりと梅雨空も晴れない頃合いなのか。昨日は雨も上がっての案外と過ごしやすい涼しいお日和だったものが、今日は雨雲こそないところは同じながら、温気が朝から濃厚で。まだ午前だというのに既に蒸し蒸しとする鬱陶しさが、家の内外関わりなくも、分厚く垂れ込めているのが堪らない。
“今からこんなじゃあ、もっと夏が進んだらどうなることやらだよねぇ。”
 困ったように眉をしかめての苦笑を見せはするものの、そこは陰陽道の修練を多少なりとも積んだ身だからか。一応はしゃきっと背条を伸ばしての、着物や風通しの工夫でまだまだ凌げますというお顔でいる瀬那くんだったりし。袖山や衿の折り目もくっきり立った、いかにも清潔な白い衣紋は、初夏向けに麻の粗仕立ての生地にてこさえた単
ひとえで。下に着た浅青の小袖の衿をちらり重ねての覗かせた、涼しげな趣向がなかなかに利いているいで立ちは、傍から見やる視線へも涼感を与えて、ますます見目のいいことこの上なく。濡れ縁の際まで出した文机にお気に入りの草花図録を広げ、今頃の草花は…なんて眺めている書生くんの涼しげな様子に引き換えて、

 「だ〜から。しつこいってんだ、お前はよっ!」
 「そうは言うけどなっ。」

 おやや。大人の方々は朝っぱらから何やら揉めておいでな模様。気の早い帷子
かたびら同然の薄い生地の小袖だけという、寝間着と変わらぬような…この時代で言えば下着姿も同然かもという はしたない恰好で、広間の板張り、直に触れるとひやっとするのへ肌をくっつけての、つまりは自堕落に寝転んでいた金髪痩躯のお館様へ。黒の侍従殿が“こらこら行儀が悪いぞ”と窘めたところから始まった口喧嘩は、相手を誹謗するその内容がどんどこ逆上ってのどういう訳だか、昨日の今頃に現れて一悶着起こして下さった、蛇の邪妖の大将殿へまで飛び火して。

 「あ〜んなに顔近づけてなくたって、お前なら気配くらい嗅げたろうがよっ。」

 昨日の今頃という朝のうち、この屋敷の主人である陰陽師の蛭魔とちょっとした縁
よしみのある、阿含という蛇の大邪妖がやって来て。まま、ちょっとした悶着があったのだが。その原因を探るのに、相手の身にまといついたる物騒な気配をば、わざわざお顔をぐんと近づけての嗅いで見せた蛭魔だったことへ、そうまでしなくとも嗅ぎ分けられたろうによと怒った葉柱であり。それへ、
「お前らと一緒にすんじゃねっての。」
 これで人の中じゃあ感度も高いが、そんでも、そうそう居ながらにして何でも嗅ぎ分けられの聞き取れのしておったら、気苦労が絶えねってもんだろうがよ、と。ただでさえ取り澄ました観のあるお顔を冷然と尖らせての、きっぱり言い放つ蛭魔の言いようは確かにごもっともなれど、
「だからっ、そういう意味で言ってんじゃなくてっ。」
 そんな彼に仕えし、黒の侍従こと“式神”の葉柱が、何へと苛立っているのかも、さすがにこの頃のセナには判って来つつあり、
“お館様も相変わらずに意地悪だよな。”
 何故に、そんなことを引っ張り出して来ての“お前が悪い”と怒っている葉柱さんなのか、重々判っておいでのくせしてね。それどころか、それが悋気から来ているということが、仄かに嬉しくってしょうがないお館様なくせしてね。判らない振りをして、トンチンカンなこと言い返して、ちょっぴり気が利かない葉柱さんをようよう煽って。そうじゃないんだ、俺が言いたいのはなと。もっとくっきり具体的な言い回しで、何がどうだから俺は腹が立ってんだよと言わせたいのに違いなく。

 「あんな奴に馴れ馴れしくすんなよなっ。」
 「どうして?」
 「だから…ああいう奴の方が俺よか良いってのかよ。」
 「何でそんな解釈になんだよ。」
 「だから…っ。」

 日頃から、そりゃあ冷たくてつれないところが強いお館様で。葉柱さんほど気を許してる相手へでも、意味なく触ろうとしたならば必殺の蹴りが炸裂して、ど〜んと突き放されてしまうのに。あんな風に…彼の側から進んで身を擦り寄せる様なんてものを見せられた日にゃあ。

 『…っ☆』

 きっと心臓だって喉元まで迫り上がったことだろし、そんな罪な光景、ちっとやそっとじゃ脳裏からだって拭い去れもしなかろうっていうのにね。でもでも言わせてもらえば、日頃のお師様からの葉柱さんへの蹴りの半分くらいは“照れ隠し”から来てるもの。今の今 抱きつかれたら、恐らくは…温みや匂いの和みに負けちゃって振り払えないかもと思っちゃった時とかに、反射的に出てるものだのにね。
“あれだよな、葉柱さんの方が余裕出しての“おいで”なんて待ってたげないと。”
 あ・でもそれだと、ますますムキになるかもだな、お師様の性格上。お館様の側からの、勢いよく飛び込むように、はたまた焦らすようにしてのにじり寄りで、葉柱さんがあたふたするのを楽しんで…とかいう状況でないとダメ、だなんてね。まったくもって、ややこしいお人を好きになられたもんだよなぁ、なんて。結構よく見ているからこその、一丁前にもそれなりの感慨を、小さなお胸の裡
うちにて巡らせていたセナだったけれど、

 「…あ。」

 そのお師様から譲っていただいた草花図録のとあるページが、二枚重なってくっついてるのに今初めて気がついた。半島渡来の冊子は結構な厚さがあって、それは緻密な絵が見事なことから、毎日のように眺めていたのにね。微妙に厚みが違うところがあって、湿気を吸ったか、合わさってたところが剥がれかかっているのに気づいたセナくん。えっとえっとと辺りを見回し、巻紙を切るのに使う竹べらが竹筒に差し入れられたあったのに気づくと手にして、慎重にその隙間へと差し入れる。そぉっとそぉっとと梳き入れての、合わさりを剥がしてゆくと、じわりじわりと離れていっての新しい見開きがお目見えし、
「わあ♪」
 今まで見たことがなかったページだけに、セナも何だか得した気分になって、思わずのこと口元をほころばせる。そこは今頃の頃合いの野草のページであり、ツユクサやムラサキカタバミなどなどの慣れ親しんだお花や草葉がやはり丁寧な筆致で描かれているそんな中、

 “ムラサキスズラン?”

 ところどころには彩色もなされている図録の中、そのお花にも淡い紫色が染ませてあって。スズランだったら確かに今頃のお花だし、時々東宮様からのお招きで上がる宮中にては珍しいお花もたくさん見ているセナだったから、緑がかったのとかなら知ってもいたが。紫のスズランというのはまだ見たことがない。傍らに書き添えられてあった、四角い説明書きを何とか読み解くと、
「希少な花であるが故の神聖な紫で、花で染めた剣の提げ緒は、邪を祓い、持ち主を護る力あり、か。」
 防御の咒と同等の効果を齎すのかしら。剣の提げ緒なんて僕には縁のないものだけどな。あ、でもでも。

 “…進さんの。”

 葉柱さんが“闇の刀”という精霊刀を操っておいでなのと同様に、進さんもまた、いざという時には武神様としての得物、なかなかに大きな太刀を召喚しての振るっておいで。邪妖ではない御方なのだから、神聖な効果があるもので差し障りは出ないはずだし、

 「ん〜っと。」
 「ん〜っと?」

 自分の呟きをすぐの間近にて繰り返されて、どっひゃあっと跳ね上がりかかったセナくんのお膝には、いつの間にもぐりこんでの上がっていたやら、小さな仔ギツネ坊やのくうちゃんがおいで。
「せ〜な、遊ぼvv」
 おやかま様とおとと様が構ってくれないのでと。広間の真ん中からこっちへ運んで来た彼らしくって。
「ご本?」
 丁寧な細工もののような小さなお手々が触れた、机の上を見やったくうちゃん。セナのお気に入りのご本に気づいて“にゃはvv”と頬笑む。綺麗な絵が一杯の、くうちゃんも大好きなお花のご本。見開きの真ん中、咲き誇る紫のお花を何度もお指でなぞるセナに気がついて、
「? せ〜な?」
 どうしたの? 肩越しに見上げて来る大きな瞳は、鳶色の虹彩が滲み出して来そうなくらいに潤んでの愛らしく。高々と結ったふわふかな髪を揺らしての、かっくりこと小首を傾げる様子はまるで、そのままぎゅうとして下さいと言わんばかりの、甘やかな蠱惑に満ちていて。

 「う〜んと、あのね?」

 どう言いくるめようか、でもなあ、どうしたってついて来るんじゃないのかなぁと。午後にも企んでいた冒険へ、この子もついて来るんじゃなかろうかっていう杞憂を、早々とそのお胸へ抱えてしまってたセナくんだったりしたそうです。





            ◇



 セナくんが図録のムラサキスズランの絵を見て ふっと思いついたのは、もしやしてご近所でも見つからないかなと、見つかったなら進さんの護剣の提げ緒を染めて差し上げて、その身をお護りする足しに出来ないかなと。そんなことをば思いついてしまっての、こそり、単独お屋敷脱出大冒険であったのだけれども。

  「ふや〜〜〜。迷子になっちゃったよう〜〜〜。」
  「うや〜〜〜。」

 早速かい。
(苦笑) 日頃からも薬草を摘みに入る山。自然を相手に慢心しちゃあいけないとはいうけれど、そこまで頼りないセナではない筈で、でも。
「何で、こんなとこに茂みがあるの?」
 来たときは間違いなくのもっと開けた一本道だったはずなのに。お目当てのスズランはやっぱりそう簡単には見つからなくて。仕方がないか帰ろうと踵を返したその途端、さっきは間違いなく何にもなかったはずの小道の上へ、なかった筈の茨の茂みが出現して道を塞ぎ、威嚇的な棘をかざしての、二人の前で通せんぼをしているではないか。
「気のせいだろか。どんどん分厚くなってない?」
 まるで生き物のように。しかも何日分もを数刻にて進めているかのような案配で、どんどんその茂みは厚さを増しての成長しているとあっては。
“これって…。”
 これはやっぱり、単なる迷子という状況ではないような。困ったなあと立ち尽くしていたセナのすぐ傍らから、
「せぇな、ちゅきがみは?」
 幼いお声が立ったのは。やっぱりついて来ちゃいましたの同行者、くうちゃんが下さった助言だったものの、
「あ、そだね、進さんを…。」
 呼べばいいんだと言いかけたセナのお顔が…そのまま堅く引きつったのは、

 「あああっ! ダメだ、呼べない〜〜〜っ。」
 「ふややっ?!」

 あまりに勢いよく叫ぶセナには、くうちゃんも思わず“びくくぅっ”と身をすくませる。だって出掛ける前に、進が気づいての追って来ぬようにと、自分へ封を掛けて来たセナであり。しかも今日はご丁寧にも、文机の上へ進さんから貰った玻璃の玉を置き、そこへ自身の影を定着させて来た。だからして、進にしてみればセナはそこにじっと座っているように見えるはず。
「だってだって、進さんへの贈りもの探しなんだもの。バレちゃったら何にもならないし、助けて貰ってもいけないし〜〜〜。」
 そんな心境は判りますが、何もそこまで徹底させんでも。…え? 何?
「…この頃の進さんてば、ほんの一間でも急に離れると、心配して出て来ちゃあ頭撫でたりして確かめるようになったから。////////」
 こんな場合で惚気る人がありますか、こら。

 「それにしたって…変だよ、これ。」

 いくらうっかり者な“ちみっ子”二人の道行きだったとはいえ、振り返った背後にいきなり、茨の茂みが育つなんて不自然どころの話じゃあない。
“何かの邪妖の仕業かなぁ。”
 だとしても、自分へと封印を掛けている今のセナでは大した咒が使えない。本来だったなら、それこそ詰まらない程度の邪妖たちは向こうから避けてくほどもの、驚異的な力を内包している彼であるのだが、そんな自覚もないから余計に、日頃との差異の原因が判らなくっての困惑は深く。自分よりも小さなくうちゃんを何としてでも守らなきゃと、ぎゅうと抱き寄せての、辺り周縁へ悲壮な視線を巡らせる彼であり。そうして、



 そうして、
「……………。」
 そんな彼らの難儀している様子を。興味があるやらないやら、少しほど離れたところに聳え立つ杉の木の、結構な高さのある梢の上から見下ろしている存在があったりし。濃色の道着は後年普及する僧侶の普段着の作務衣のような形。袂の浅い羽織に筒裾の袴と、下には身頃を前で合わせぬ型の、細かい鎖を編み上げた帷子
かたびらを着ている偉丈夫が、その屈強精悍な長身を、野生の獣よろしく伸び伸び延ばしての危なげなく横たわっており。幾つもの房に分けての縄のように綯った髪の下、頭の後ろへ回した手を手枕に、気のなさそうなお顔でぼんやりしている風を装っているものの、
「おい。」
 随分と高いその木の根元からそんな彼を見上げるは、こちらは墨染めの僧衣をまといし短髪の年若い僧侶が一人。彼にも迷子らの気配は探知出来ているらしく、
「助けてやらんのか?」
「さてな。」
 気のない声を返す彼だが、関心がないなら既
とうに見切っておろうにという苦笑は絶えなくて。
「言うておくが、俺は関わりは持たぬからの。」
 この地で人が手を出したとなれば、地神から見りゃどの人も同じとなり、周辺の住民の誰彼なしに余波が飛ぶ恐れも高い。
「助けてやらぬというのなら、早い目にせめて伝令でも放ってやってはどうだ。」
「うっせぇよ。」
 何でこの俺様が、あんな小せぇのへ仏心を見せにゃあならんと、憎まれを言い返しはするものの、
「………。」
 だったらそんな顔で苦々しくも眺めてないで、さっさとどこかへ去ればいいのにと。そのひねくれようへと、彼の盟主は呆れるばかり。
“…ややこしいところに踏み込みやがってよ。”
 何も、昨日 思い切り小さなキツネの坊やから嫌われた仕返しにと見捨てている彼な訳ではなく。むしろ盟主のご意見と似たようなもの。昨日それを忠告しに行ったように、ここいらに棲まわる地神らが、くうという天狐とその関係者の放つ特別な気配に浮足立っておるというのに、選りにも選ってそのご当人がまかりこしたから…のこの始末。天世界の存在とまで、果たして分かっているやらいないやら。判っている上で、小さいうちに飲み込んでしまおうという腹ででもあるものか。こんな大胆なことを仕掛けている連中なのであるらしく。なればこそ、

  ――― もしも阿含がここで動いたならば

 ここいらを仕切るこの蛇神様もまた、あの天狐に肩入れするのだという表明になってしまう。ここで問題になるのが、その行為、小さいから庇ってやったのだという形にはならないということ。特に誰へという肩入れはしないことで通っていた、孤高の存在だった最強の彼でも、天狐には敵わず迎合するのかと。そんな形での解釈が降るのが見え見えで、
“つか、それを断じたくての故意に、俺にも見せて聞かせてるんだろうよ。”
 威容を保ちたければ今まで通りの慈悲なしでおれと、言わんばかりのこれ見よがし。若しくは、これまで自分らを膝下へ屈させて来た“非情な覇王”という側面を、こやつら相手でも貫きますよねと、そんな卑屈なおもねりの気配が感じられ、

 「………。」

 じわじわと。小さな二人を包み込む茨の柵は、その輪を縮めつつある。
「せ〜な〜。」
「くうちゃんは、ここにお入り。」
 自分の丈の半分くらいという小さな幼い仔ギツネくんを、それだとて頼りない懐ろへと入れてやるくせっ毛の和子が。ぎゅうと眸を閉じ、震えごと自分を抱きしめる。一つ一つが随分と大きな棘の茨だから、夏向けの薄着なぞ易々と突き刺すに違いなく。長いこと“いい子いい子”と甘やかされていたものね、痛いってどういうことか覚えていないほど。だから余計に怖いようと、がたがた震える書生くんの懐ろに、小さなお手々で必死にすがって。小さなキツネくんもまた、大きな鳶色の瞳をうるうると潤ませての今にも泣き出しそうな気配。此処には頼りになるおとと様も おやかま様もいないの。ざわざわの空気、いたいたで こあいの。だれか、だれか、たちゅけてよう。こあいよう〜。


  「………ちっ。」


 何が腹が立つって、
「何でまた てめぇらに俺の出方を見守られにゃならんのだ。」
 様子を伺いの、味方っすよね、仲間っすよねと、恐る恐る迎合させんと持ってこうとする卑屈な作為が、

 「どうにも鬱陶しいんだよっ!」

 むくりと身を起こすと、すぐさま、その姿が梢の上からは消えており。

 “………え?”

 どこからか鋭い風の音が迫って来たのが、セナやくうへと聞こえた次の瞬間。ぱきっという乾いた音が立ってのそれからが物凄い。茂みがざわざわ軋む音ばかりが充満していたそこを切り裂くように、天穹を切り裂く雷鳴の嘶
いななきも如やという、ぱしぱしぱきぱき、ひたすら乾いた音が続いての、
「あ…。」
 すぐさま、彼らの周囲に新しい空気が、風が流れ込む。恐る恐るに顔を上げ、周囲をそろりと見回せば、もうもう間近も至近、肌へと触れるほど近づいていたはずの茨の魔手は遠のいて。少し広くなっている視野の先。鋼のように頑丈な茨の棘へ、骨太な指が、手が、かかっているのが見えて。
「…ったくよ。中にいんのが ちみちゃいお前さんたちだもんだから、大技で焼き払う訳にもいかねぇ。」
 植物であろうに、そこへと注ぎ込まれた何かしらの精霊の力が宿っての抵抗が、がっつり大きくて頑丈だろう彼の手を指を棘の先にて傷つけていて。

 「…阿含さん。」

 ああ、こんなところで迷子になってた僕らを、見ててくれた人がいたなんてと。セナはすっかり安堵した模様にて、その場にへたりと座り込む。べりりと引き毟
むしるようにして、茂みの何重もの層を次々と、力任せに剥いでゆく様はなるほど圧巻で。セナが“ああ助かった”と安心し切ってしまったのも頷けたけれど、

 「…くぅん。」

 小さな仔ギツネのくうちゃんは、ちょこっとばかり複雑なのか。恐怖からの潤みこそ止まったけれど、その大きな瞳は…自分たちへと近づくために茨を掻き分け続けている、何が面白くないものか、ちょっぴり不機嫌そうに仏頂面をしたお兄さんのお顔ばかりを見つめており。

 「てぇい、とっとと退かねぇかっ!」

 てめぇらが俺様を試そうだなんて、百万年早いんだよっと。居丈高に怒鳴った彼の手から ようやっと、茨は幻であったかのように霞と消えてのいなくなり、森はいつもの、まだ新緑の淡い色合いが明るいばかりな平穏さを取り戻す。
「阿含さん…。」
「ったく。何でまた、お前さんたち小さいのだけで来やがった。」
 ふや〜んと、幼子みたいに泣きつくセナの頭を、やや乱暴にかいぐりしてやり。いつもだったら、あの進とかいうのが鬱陶しいほどの威圧をばら蒔きつつ同行してくんのによと、ついつい“いつも”を知っていること、暴露してしまった彼なのへ、
「…。」
 小さな仔ギツネ、お指を咥えると“…う〜”と小さく唸って見せた。





            ◇



 本気でかかりゃあ、それこそ一瞥を飛ばすだけで、あんな茨の茂みの一つや二つあっさり吹き飛ばせたのであろうけれど。体を思い切り、もがかすように動かしたかったものだからと。その手を掛けての無理無体。こっちも怪我する強引さにて、鋼鉄のようだった棘も恐れず撤去にかかり。
「…あ〜あ。」
 そこはさすがに、地神の精霊力の染みていたもの。こちらの手へもしたたかに食いついての傷を残して下さって。まま、数日ほども放っておけば治るかのと、ひじの先、前腕の側面なぞ、届く範囲の傷口を、ペロリと舐めていたところ、

  “おや?”

 かささと響いたは、小さな気配。お?と視線を凝らすと、少し先の小道をひょこひょこ弾むは見慣れたお尻尾。
“何だ?”
 あれほど怖い目に遭っといて、すぐまた来るかあの坊主。ほんの小半時ほど前に、書生の男の子と一緒にあのあばら家屋敷へ送ってったはずの仔ギツネ坊や。忘れ物でもしたものか、今はもう、柔らかいツゲやらツツジのそれしかない茂みのあちこち、ひょこひょこパタパタ駆け回っており。それでも見つからぬということか、ひたり止まるとよいちょと背伸び。それからお口に小さな手をかざし、


  「あぎょん〜〜〜っ!」

   ………おいおい。
(笑)


 もしかして、それって…と、さしもの大邪妖が身体を斜めにしたから物凄い威力。認めるのがちょっと、気が重いのだけれど。
「お〜い、あぎょ〜〜〜ん。どこ〜〜〜っ。あぎょん〜〜〜。」
 放っておくといつまでもの連呼を続けて下さりそうなので。何かしらを堪えるようなお顔になって、座していた梢から降りてってやれば、
「あ、あぎょんっ。」
「阿含、だ。」
 何度繰り返させても“あ・ぎょ・ん?”からの進歩はなく。これは、この子の舌の長さでは何ともしがたいことならしい。まあ、そんなもんはどうでもいんだけどもよと、雄々しき肩から一気に力を萎えさせて、
「で? 何か用事か?」
 鋭角な目元をわざとらしくも尖らせて、やさぐれ半分“ああん?”と訊けば、
「ん〜。」
 とんでもなくの身長差のある、しかも昨日はあれだけ威嚇した同じ相手だってのに。怖じるどころか、筒袴のお膝辺りをくいくいと引く彼なので。ち、しゃあねぇなと応じてやっての屈んだところが、

 「………え?」

 よくもまあ この大きさで、関節の1つ1つまで動くよなと感心したくなるほど小さな手が伸びて来て。蛇の邪妖様の大きな手を取り、その側面に出来ていた裂傷を、

  ――― ぺろり、と。

 小さな小さな舌が舐めた。あまりの突然、しかも予想だにしなかったこと。反射的に振り払おうとしかかったのを、それでも思い止どまれたのは、それこそ彼がそれなりの練達であったればこそ。そうでなければ、こんな小さな和子が相手だ、手刀一閃で手近な木の幹へ叩きつけていたかも知れぬ。とはいえ、
「な…っ。」
 驚かなかった訳ではなくて、自分の手の向こうにいる小さな坊やを、ぎょっとしたままに見つめ返せば。その同じ舌を、いつの間に取り出したか、小さな南京豆の莢みたいな容れ物へちょんとくっつけると、不思議な光がほわりと立って。
「???」
 何が何やら、怪訝そうに見やるばかりな邪妖のお兄さんには一切構わず、坊やはその南京豆を自分の小さな手の指先へと乗っけて見せる。するとその中から絞り出されたは金色の軟膏薬で。先程舐めた傷口へ、小さな指がすりすりと塗りつければ、
「…おお。」
 結構深いそれだった傷が、あれよあれよと見る間にも塞がってゆくではないかいな。この一連の所作にて、使い方を教えたつもりか、
「ん〜。」
 その小さな南京豆を手ごと阿含の鼻先へ、ぐいと突き出す坊やだったりし。
「…くれんのか?」
 訊けば大きく頷いて、
「どーじょ。」
 ちょうど頭の高さや目線が同じくらいという至近になっているにも関わらず、やっぱり仔ギツネくんは…怯えたり威嚇したりという気配は見せないままであり。少々呆然としている阿含へと、受け取れと腕をますます延ばして来たもんだから。
「ああ。」
 ありがとなと受け取れば、ん〜んと大きくかぶりを振って、

  「ありがと、あぎょん。」

 そっか、お礼に来たのかお前。ふ〜んと笑えば、向こうからも微笑って見せて。

  「くう〜、もう済んだか?」

 そこへと届いたのが、聞き覚えの重々あるトカゲ野郎の間延びした声。しっこじゃないんだからそれはなかろうと、目元を眇めると、そんな視野の中で小さな仔ギツネくんがひょこりと小首を傾げて見せて。

  ――― あーね? あぎょん、怖い怖いは もーしない?
       怖い怖い? ああ、あれな。気をつけるさね。
       だったらいいvv

 うふふぅと微笑うと、やわらかそうな頬がふくりと膨らむ。短くて寸の足らない腕と足をとてちて振り回し、来た方へと戻ろうとする彼で。小さな背中がひょこひょこ弾むのが、何とも愛らしくて。ついついいつまでも見送っていれば、

  「おい、あぎょんとやら。」
  「………殺すぞ、てめぇ。」

 いつの間に背後へ回ったか、さっきの天狐の地上での保護者殿の片割れが、もとからの同類なのだと言わんばかりの金の髪をふさりと振るっての悠然と立っており。阿含がドスの利いたお声を発しても、全く動じないままな美丈夫さんは、
「すまんかったの、セナともどもチビさんたちが世話を掛けた。」
 これでも一応は礼にと来たらしく、
「ああまったく、監督不行き届きだぞ。」
 ちゃんと忠告したってのに、昨日の今日でこれだ。言うな、蜥蜴野郎とごちゃごちゃしていた隙を突かれての。…惚気だったら他所でやってくんね? どこまで本気でどこからが冗談なのやら。ちょいと剣呑な眼差しをやりとりしての、すぐ。

 「此処の地神がうるせぇようなら、俺も制圧に手ぇ貸すと言いに来た。」
 「おや。そりゃまた頼もしいこって。」

 恐らくは、彼なりの心遣い、いやさ仁義のような“筋”を通しに来たのだろうが。
「それこそ余計なお世話だよ。」
 蛇神様の自負は、小さな仔ギツネくんに嫌われたことでは凹んでも、雑霊ごときの叛旗なんぞでは微塵も傷つかぬものであるようで。

  ――― 俺よか、蜥蜴野郎を慰めてやった方がいんでないかい?
       何だそりゃ。
       天狐のチビさん、俺へも懐いちまったしよ。

 となると、しょげようも半端ないのじゃないかと。こっちの家人のことにやたら通じている彼なのへ。擽ったげな苦笑を返し、言われるまでもねぇよと、やっぱり惚気をこぼしに来たらしき、うら若き陰陽師殿。大きな力持つ邪妖と仲がいいなどと、後世に奇跡のように謳われるかも知れぬ存在は、だが、今はただ、やんちゃな眸をして笑うばかりだ。





  〜Fine〜 07.7.08.


  *後日談でございます。
   いえね、くうちゃんに“あぎょん”と呼ばせたくて呼ばせたくてvv
   前の話もそれでと書き始めたようなもんだったんですが、
   突然の体調不良で間が空きましたこと、お詫び申し上げますです。

  *ちなみに、進さん初登場は黒耀の琥珀参照

めーるふぉーむvv めるふぉ 置きましたvv お気軽にvv

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